水と墨と

f:id:kenji-hazama:20161031222428j:plainいつから自然水に関心を持ち出したのか記憶が定かではないが、たまに一人でぶらりと旅行に行くときなど、その近辺に「良さげな」水場はないか何気に探してみたりするようになった。

 

我が郷里は清廉な水がどこからでも湧いてくるような土地であったが、そのことをそれほど気に留めたこともなく、つい最近まで過ごして来た。

 

にも関わらずそうなったのは、もしかしたら、近年起こった様々な災害などの出来事、そのニュースに接することで自身の記憶が揺さぶられ、水の重要性やその有り難さを無意識的に感じるようになったのかもしれない。

 

この写真は今から4年ほど前、2012年の10月下旬に、一人で和歌山県の熊野から串本辺りを旅行した際に見つけた水場である。

 

串本の旅館の女将さんのブログに小さく載っていた写真と、古座川町のある集落の辺りだということくらいしか情報はなく、見つけるのはほとんど不可能に近いかと思われた。

 

紀伊半島のほぼ中央、山の谷間の小さなその集落を車で1時間ほど探したが見つからず、諦めて帰ろうかと思っていたところ、その集落に1件だけある簡易郵便局の前で談笑している壮年の男性2人を発見。

 

ダメ元でブログの写真をお見せすると、

「あーこれかいな、アンタこんなん探しに来たん?」

「さっきから何回も同じ車が通るなーて話してたんや」

「そしたらワシが軽トラで先導してあげるからついておいで」

 

そのまさかの展開に驚きつつも、男性のご厚意に甘えて車で20分ほど先導していただき、どうにか写真の水場へと辿り着くことができた。

(教えてもらわなければ絶対にわからない山の中である。)

 

なかなか趣のある水汲み場だが、聞くところによると、近所の方が趣味で作ったものだと言う。

(近所といっても完全に山の中で近くに家は無い。)

 

「こういうのを作るのが好きな男がおるんよ」

「そしたらワシ行くから、帰り道気をつけてね」

 

軽トラで帰って行く男性を見送り、しばらくその場の清廉な空気に浸る。

 

手酌でいただいた水はとても柔らかで、すっと体に染み渡っていくのがわかった。

 

このほとんど誰も来ないであろう山中で、日夜滔々とこの清廉な水が流れ続けていると思うと、何か感動的な気持ちすらしたのを覚えている。

 

墨で紙に何かしらを現すということにおいて、水は無くてはならないものである。であるなら、水の質というものがその「象」の現れ方に影響を及ぼすというのは、ごく当たり前のことのように思える。

 

しかしまだ、私はそのことに無意識的過ぎるかもしれない。